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2015年6月26日 (金)

断片的なものの社会学 

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「断片的なものの社会学」岸政彦著(朝日出版社)

ずいぶん久しぶりの更新。ちょっと書いておきたいと思わされました。

社会学とタイトルにあるけれども、かつて読んだ社会学の本とはずいぶん趣が異なる。というのは今まで読んだものはそのほとんどが、調査した事実を先行研究に照らし合わせて意味づけをするというもので、自分の言葉でその事実について思うところを語ったりということはされていなかったからだ。それらの本では、対話のなかから相手の言葉を拾い上げていく過程で多くの社会学者は、その語りについて「あなたの話はとうの昔に我々の言葉で語られている」とラベリングしていくのではないかと感じられた。けれどもこの「断片的なものの社会学」という本は、それらとは違ったということなのだ。

書店に勤めていると、出版社から販売データを見せられ、「こういった動きをしているので御社でも展開してください。」とか、「この本は初速が良いので注目しているんです。」という話をよく聞く。POSデータというのは今では一般の方でもその存在を知っているくらいあたりまえのもので、人間の消費動向を知る上では欠かせないものだ。でも売場で本を売っていると、ひとりひとりの事情があり、いろんな動機から本を手にするのを目にしているので、個人的には単純にPOSデータを人と結びつけて考えることは難しい。データにされた数字には人格がないし、その数字は実はひとりひとりが本やさまざまなものを「欲しい」と思った証しなのだからだ。

この本を読んでみて感じたのは、他者のそれぞれの事情をあえて自分の言葉で語りなおすことは、無作法なのであろうということだった。学問という枠の中で考えると、いろんな事実についてラベルをつけていくことは当たり前のことで、それ以外の手法は学校の外でやってくれということかもしれないが、本当の意味での社会というのはそんなに簡単にラベルをつけたり意味をつけたり出来ないものなのではないかと思う。

この本の著者は学者でありながらあえて、社会学の手法で語ることをせず、聞いたことをそのまま私たちに提示してくれている。それはタクシー運転手であった路上のギター弾きであったり、元暴力団員のわけのわからない話であったりである。そしてそれを読んだ我々はその話に共感できたりできなかったりするのである。

私たちは自分自身が対象者に共感できるかどうかを決めるときに、何を基準にしているのだろう。アダム・スミスは公平な観察者が自分のなかにいることが、道徳性の根本であるといっていたように思うが、著者の立ち位置はどうもそれとは違うのではないだろうか。道徳的に生きることがすべての人に真実である必要も無く、世間から不道徳であるとしか見られない生き方にも真実はあるのだろう。公平な観察者として社会を記述することはたやすいが、対象者によりそいすぎることで公平性を失い、おろおろしたり、悲しんだり、喜んだりでしか見えないことはかならずあると思う。著者はそんなふうに、さまざまに一喜一憂し、ある意味不公平に社会と関わりあっていくということを実践していくことで、私たちに世の中の面白さを、「別のかたち」で見せようとしているのではないかと思わされた。

私は書店の店頭でいろんなひとたちのいろんな言葉を目の前で、または電話を通じて耳にしているが、なるべくその言葉を「消化せずに持ち続ける」ことが大切なのだと思い続けてきたが、そのことはじつは本当に大変で、そんなに長く続けられるものではないなと思ってきた。けれどもこの著者のような方が世の中にいるのなら、もう少しくらいはやってもいいかと思わされた。そういう意味では、この本に勇気づけられたひとは他にもいるかもしれない。

この本のことをおしえてくださった(橋)さんに感謝いたします。大変興味深い1冊でした。せっかくなのでこの著者のほかの本も読んでみようと思います。

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