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2009年1月

2009年1月28日 (水)

なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?

なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?―仕事も恋愛も人生も成功に導く!他人とかしこく関わる方法 Book なぜ、他人のゴミを拾ってしまうのか?―仕事も恋愛も人生も成功に導く!他人とかしこく関わる方法

著者:丸屋 真也
販売元:リヨン社
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著者は臨床心理学者として、主に人間関係のトラブルや悩みに携わり、カウンセリングを行っています。その中で気づいたことは、人付き合いのトラブルを抱える人の多くは、「自立」できていなかったり、「自立」の意味を取り違えていたりする場合が多いということです。

では、「自立」いうのはどういう状態を言うのでしょうか。すぐに頭に浮かぶのは経済的に独立しているということですね。しかしお金で解決できない精神的なトラブルに追い込まれているような状態ならば、本当の意味で自立しているとはいえません。

他人に頼らずなんでも自分で解決できることを自立だと勘違いしている人がいますが、そうではないようです。本当の自立とは、自分のできることは自分でやり、自分の限界を超えたところは他人の助けを借りるという、バランス感覚を持った状態のことだそうです。自立した生活は他者に依存しなければ成り立たないということを頭に入れておくことで、生きるのがとても楽になるかもしれません。

著者は自立の意味を探りながら、人と付き合うための「バウンドリー」という概念について紹介しています。バウンドリーというのは「自分の責任領域を示す境界線」のことです。どこまでが自分の責任でどこからが他人の領域なのかをはっきりさせるために、心の中で線引きをすることです。

私たちには隣の家の庭のゴミを拾う責任はありません。しかし人付き合いの中で、隣の家のゴミ拾いに近いことをしていることは結構あるかもしれません。こういうことは他人のバウンドリーを侵すことになり、相手の自立を妨げることにつながってしまいます。

自分のバウンドリーを確立できるようになると、他人と自分の境界線が明らかになり、うまく人付き合いができるようになります。そして時には境界線を少し越えて相手の方に踏み込んでみたり、行き過ぎたと思ったら戻ってみたりと、いったりきたりすることで、人間関係の幅を深めていくことができるのです。なんとなくわかっていたつもりの「自立」という言葉ですが、こうやって整理してみるときちんとわかっていなかったのだと気づきました。

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2009年1月23日 (金)

人類は「宗教」に勝てるか

人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス) Book 人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)

著者:町田 宗鳳
販売元:日本放送出版協会
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オバマ大統領の就任演説で興味深い点がありました。

「私たちのために、彼らはわずかばかりの身の回りのものを鞄に詰めて大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。・・・・」

このように、建国以来のピューリタン精神はいまだにアメリカ社会を突き動かしているといえます。しかし、ピューリタンというのは直訳すると「潔癖な人たち」と言われるように、プロテスタントの中でも急進派だったといえます。イギリス国内に居場所のなくなった彼らはメイフラワー号に乗ってアメリカにやってきます。そして、その祖先たちから引き継いだ独善的で融通の聞かない精神は、国内外に多くの影響をもたらしています。

「信じるものは救われるが、信ぜぬものは裁かれる」という大宣教令をうまく対テロ攻撃の方便として使ったブッシュは「我々の側に付くか、テロリストの側につくか」と演説し、国民はそれを受け入れてしまいました。ブッシュがイラクに攻め入るときに「正義の十字軍」という表現を使っていましたが、それはいまだにキリスト教者であるアメリカ国民の深層意識に刷り込まれている共通認識なのでしょう。そのことは、アメリカを中心としたグローバリズム=キリスト教が世界に広まることこそ人類の幸福を実現するという、一神教の理念の単なる押し付けに過ぎないかもしれません。

著者は20年間大徳寺で修業した後渡米し、ハーバード大学神学部で修士号を取得、その後他大学で博士号を取得するなど、一神教と多神教の両方の世界を体験されています。そんな著者が「ほかならぬ宗教こそが人類最大の敵だと考えている」いう理由はどこにあるのでしょう。それは現代の宗教が「信仰」ではなく、「儀式」や「政治の道具」になりさがってしまったからに他ならないからだと思います。

宗教が人々を救えないことは感じていましたが、それでは私たちは何を信じて生きればいいのでしょう。いまこそ私たちは、新しい真理に向かって進まなければならないときなのかもしれません。

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偏差値崩壊

偏差値崩壊 Book 偏差値崩壊

著者:牧野 剛
販売元:PHP研究所
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先日出版された河合塾の牧野先生の著書です。まだ読了していませんが、取り急ぎお知らせです。

偏差値というと、なだらかなカーブで真ん中あたりが山のてっぺんになっているグラフを思い浮かべます。ところが近年、データ修正せずにグラフを作ると、フタコブラクダのように山がふたつできてしまうそうです。それはなぜかを検討したところ、「日本語力と論理力」の差が、ふたつの山を生み出したのではないかという結論に達したのです。

牧野先生は、文章ではなく単語でしか質問できない生徒を前にして、家庭環境の差が言語能力に影響を及ぼし、それが学力の大きな差に結びついているのではないかと思い当たります。「メシ」というだけで食事が出てきて、「ごちそうさま」という事も無くゲーム機に向かうような暮らしをしていると、学びや学力とは程遠い生活になってしまいます。

もともと偏差値というのは、全体の中で自分はどのあたりにいるのかを相対的に知る、モノサシのような役割をするものでした。しかし教育現場では簡単に生徒の指導ができるため、偏差値だけを価値観にして進路指導を行う傾向にあります。例えば、「君の偏差値は55だ」と言われると、もともと相対的な評価だったものが絶対的な評価として受け取られてしまいがちです。

それ以外にも偏差値重視には、いろいろと弊害が指摘されています。すべてにおいて他人との比較を重視し、逆に内面の研鑽を怠りがちになる。能率重視で、実力が問われることが少ない。などなど、欠点も表面化しています。

受験だけでなく社会に悪影響を及ぼしつつある偏差値と、うまく付き合う方法はあるのでしょうか。あるとしたら、偏差値をモノサシとして上手に使うことのできる教師のがんばりと、学校以前の家庭環境の改善につきるのではないかと感じました。

教育関係者だけでなく、皆さんにお読みいただきたいと思います。

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2009年1月20日 (火)

先生はえらい

先生はえらい (ちくまプリマー新書) Book 先生はえらい (ちくまプリマー新書)

著者:内田 樹
販売元:筑摩書房
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実は、この本を読むまでウチダ先生の本は読んだことがなかったのです。その意味では、私にとっての記念すべき1冊です。某通信添削会社のブックガイド向けに読んでみたら面白かったので、以後著書はほとんど読ませてもらってます。

そういえば、人と話すときにネタに使っている「沈黙交易」も、どの本で読んだのか記憶に無かったのですが、読み直してみたらこの本でした。

沈黙交易というのは文化も習俗も違う異部族間で、それぞれの特産品などを対面することなく交換し合うことを言うそうです。お互いの特産品といっても、双方がお互いにその価値を知っている物では無かったというのが大事なんです。最初に交換したときには、それにどんな価値があるのかわからなかった。けれども何度も同じ物を受け取っているうちに、どうやって使うのかに気づいたのでしょう。相手がどんなものを贈ってきたのかわかっていると、交換を続ける気力は減少してしまう。お歳暮やお中元など、価値のわかる物を贈りあうというのは、つきあいとしては大事かもしれませんが、あまり面白い物ではありません。

人と話をするときはお互い言葉を交換し合っているわけですが、話している間にこの話がどこに向かっているのかがわかっていることほど、つまらないことはありません。それよりは、なんとなく話題をつないでいったら、お互いにとって大きな気づきになったというときのほうが、愉しいものです。

人間の活動の動機というのは、意外と単純なのではないかと思うときがあります。やりとりという行為そのものが面白いからこそ、人間は交換し続ける。そういった基本に立ち返って自分の仕事を見返してみると、新たな気づきを得ることができるのではないかと感じました。いい本ですのでぜひお読みください。

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2009年1月16日 (金)

ブリッジマンの技術

ブリッジマンの技術 (講談社現代新書) Book ブリッジマンの技術 (講談社現代新書)

著者:鎌田 浩毅
販売元:講談社
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京都大学の鎌田先生の本です。テレビで拝見すると、大学の先生らしからぬ派手なスーツを着ていたりするのでびっくりしてましたが、それには深いわけがあったのです。

経営コンサルタントなんかが良く使う言葉で「フレームワーク」というのがありますが、それは「考え方の枠組み」とか「頭の中の思考パターン」という意味です。お付き合いするのが苦手な相手とは、このフレームワークが違っているからに他ならないのです。そして、相手とのフレームワークの橋渡しを上手にできる人のことを、鎌田先生は「ブリッジマン」と名づけました。

例えば奇抜な服装も、火山学という地味な学問に目を向けてもらうための手段だったのです。その前は普通の大学の先生と同じような地味なファッションだったのですが、あるとき授業の後、パーティーに出席するためにおしゃれな服装で教室に行ったところ、生徒たちの食いつきがまるで違ったという経験をします。そのことをきっかけに、奇抜なファッションは学生とのフレームワークの橋渡しに大いに役立ったといいます。

フレームワークの概念は人間関係だけでなく、科学や哲学、難解な文章の読解など、さまざまな場面で役に立つといいます。詳しくは本書をぜひお読みいただきたいのですが、もともとは自然災害から人々を救うために身につけたこの技術を、いろんな場面で活用して、人と人との橋渡しをする「ブリッジマン」になってほしいと鎌田先生は願っています。

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2009年1月15日 (木)

この世でいちばん大事な「カネ」の話

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ) Book この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ)

著者:西原理恵子
販売元:理論社
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サイバラさんの「毎日かあさん」売れてますねえ。でもワタクシあの絵がダメで、しかも活字じゃないのがダメで、読めないんです。この本は全部活字なんで大丈夫でした。

生まれ育った高知の漁村では、お金というのは魚の匂いのするものだった。漁師が魚を触った手でやり取りしたお金が町のなかをまわっているので、お金には魚の匂いが染み付いている。そして町には貧富の差が無かった。町中が貧乏だったから、自分が貧乏なんて気づかなかったのだった。友達の家にはなんと窓が無かった。窓ガラスが割れても直すお金が無い。

そんな環境で知ったのは、貧困と暴力というのは隣りあわせだということだった。お金が無いことに追い詰められると、人は人でなくなってしまう。簡単に破滅に向かってしまうのだ。

でも、その負の連鎖から抜け出す方法がある。それは、千円でもいいから自分で稼ぐということ。そして稼ぐことで人は自由を手にすることができるという。

毎日働いていると、働くことの意味を忘れることがあります。どんなときでも働くことは希望につながる。人が人であり続けるために人は働き続けるんだと、サイバラさんは結んでいる。

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2009年1月 9日 (金)

反貧困

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書) Book 反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

著者:湯浅 誠
販売元:岩波書店
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近年、ワーキング・プアという言葉をよく耳にします。それは、働いているにもかかわらず、憲法で保障されている最低生活費以下の収入しか得られない人たちのことを指します。

著者の湯浅さんは、自立支援をサポートするNPOを運営し、たくさんの生活困窮者を手助けしたなかで、自己責任だけが貧困を招いたのではないと指摘しています。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センの言葉として「貧困はたんに所得の低さというよりも、基本的な潜在能力が奪われた状態と見られなければならない」と言うことを引用していますが、それは貧困が個人的な要因だけでなく、社会的、環境的な要因で起こっていることにつながると思います。

著者は、ホームレスなどの人達と接してきて、「潜在能力」にあたる概念を「溜め」と言う言葉で表現しています。農業などで使われるため池というのがありますが、急に日照りが続いてもしばらくはため池の水でしのげるという、緩衝材のような役目です。

著者が相談を受けた方は、あまりにも状況が深刻すぎて、自分では生活保護の申請をする意欲さえありませんでしたが、友人の説得で生活保護を受けることができました。そうして、少し余裕ができると気持ちにもゆとりがもてたのか、就職の面接を受けてみようという変化が出てきました。まったく「溜め」の無かった状態から脱することで、一歩前に進むことができたのです。

私たちの生活においても、金銭的な溜めが必要なのはもちろんですが、いざというときに助けてくれる友人を持つといった、人間関係の溜めを持つことが重要ではないかとこの本を読んで感じました。

今日もごらんいただきありがとうございます。

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2009年1月 6日 (火)

フィンランドの教育力

フィンランドの教育力―なぜ、PISAで学力世界一になったのか (学研新書) Book フィンランドの教育力―なぜ、PISAで学力世界一になったのか (学研新書)

著者:リッカ パッカラ
販売元:学習研究社
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知り合いの編集者さんに頂戴した本です。興味深く拝読しました。ありがとうございました。お聞きしたところでは、長時間のインタビューを翻訳、構成した労作とのこと。しかも、インタビューと翻訳をされたのが、先般ブログで紹介した「ゴーン家の家訓」の翻訳を手がけた方だったと知って驚きました。

OECDが行った学習到達度調査で、フィンランドの子どもたちが、何故あれほどの成績を残せたのかについて、実際に10年間教育に携わった著者の、内側からの視点で描かれています。

そのなかで、読む前からある程度想像していたように、言語の問題が取り上げていました。520万人という少ない人口の国が、ロシアなどの長い支配を受けた歴史から、自分たちのアイデンティティをどうやって持ち続ければ良いかを自らに問うた結果、母語の重要性に行き着いたのでしょう。しかしフィンランド人は母語だけでは、世界で生き残ることができないと考えています。フィンランドで普通に暮らしていくには少なくともフィンランド語、スウェーデン語、英語の3つが必要とされます。学校ではまず低学年で母語であるフィンランド語を学び、そこで培った文法の知識を元に英語を学び、その後スウェーデン語やドイツ語を学びます。そのように、言語の習得にとても時間をかけて教育を進めることが、すべての学習に良い結果を生み出しているのでしょう。

しかしフィンランドが教育において好調な結果をあげている背景に、人口の少なさがあることを見落としてはいけないと思います。29歳の青年を教育大臣に据え、教育改革を推し進めてから比較的早い時期に結果を出せたのは、すばやい舵取りのできる小国というお国事情によるものが大きいと思います。

いまの日本の学校で、同じことはすぐにはできないかもしれませんが、もっと小さいサイズの自治体や学校単位でフィンランド・メソッドを取り入れてみると、結構面白い結果が出るのではないかと期待しています。それよりもまずは、家庭で試してみるのはいかがでしょうか。1対1に近い教育のサイズでこそ、フィンランドメソッドは活かされるように感じました。

今日もごらんいただきありがとうございます。

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2009年1月 4日 (日)

いまこの国で大人になるということ

いまこの国で大人になるということ Book いまこの国で大人になるということ

著者:苅谷 剛彦
販売元:紀伊國屋書店
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はたして自分自身がどうやって大人になったのか。それは、ひとことではうまく説明することはできません。しかし、子どもを育てていく上である程度、自分の中で言語化して備えておかなければならないのではないかと、考える日々です。

そんななかで偶然出会ったのがこの本です。茂木健一郎、斉藤環、刈谷剛彦をはじめ16人のオムニバスで構成されていて、社会学だけでなく、宗教学、経済学、法学などさまざまなジャンルから、「大人になる」とはどういうことなのかを論じています。

なかでも面白いと感じたのは、宗教学者の島田裕己さんの「大人になるためのイニシエーション」。宗教学の世界では、大人としての自覚をもつようになることをイニシエーションと呼んでいますが、一般的には通過儀礼という意味合いでとらえられています。日本では旧くは元服の儀式があり、現在では成人式がありますが、それは本来のイニシエーションの性質とは大きく異なっています。それよりは、日常的な節目、例えば就職といった社会への参加がイニシエーション的な要素を多分に発揮していると思います。

しかし社会が正社員を必要とせず、単純労働者としてアルバイトなどの非正規雇用者を必要としだした頃から、少し図式が変わってきました。就職して自力で家族を養うという通過儀礼を経ない若者たちが、そのまま大人といわれる年齢層に達しはじめたのです。この国で大人になることが難しくなったのは、社会が大人としていろいろな判断のできる人材よりは、単純に労働に従事できる従順な人間をもとめてきた結果では無いかと思います。

私が子どもの頃は、いろんな場面で大人にしかられ、その都度多くの葛藤を抱き、それが大人になるための大きな糧となっていったように感じます。それが社会に出たあと、さまざまな苦しみに耐える力の源になっているのだと感じます。そういう意味で、大人になるというのは、耐える力を身につけることと言えるのではないかと思います。そのために準備されていたのが、伝統社会でのイニシエーションだったのではないでしょうか。

システムとして、このような通過儀礼を教育の場に設けることは不可能ですが、私を殴ってくれた怖い先生のような存在が今一度登場することも、社会が健全に機能するための一助となるのではないかと、痛切に感じます。

今日もごらんいただきありがとうございます。

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2009年1月 2日 (金)

博士の本棚

博士の本棚 Book 博士の本棚

著者:小川 洋子
販売元:新潮社
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この本は新潮社の「波」や中央公論の「中公読書室」などの書評や、新聞、雑誌に書かれたエッセイなどをまとめたものです。小川洋子さんのエッセイは、読んでるだけで頭が良くなる感じがして好きなのです。

なかでも印象に残ったのは「あなた以外に」という文章です。雑誌「海燕」に小説を書くようになって出会った、ある編集者とのエピソードです。

丸の内のビジネスホテルの喫茶店で、ゲラを前に打ち合わせをしていたときのこと。既に赤ペンでたくさんの直しが入ってはいたがまだまだ不十分で、その小説は題名さえ決まっていなかった。立ち止まっていたとき、ふとした拍子に頭の中に新しい場面が浮かび、数行の書き込みを入れる。そのうち、そのシーンを発展させる形で道が開け、題名のアイデアへとつながっていく。

完成前の未熟な小説の前で、編集者の内面ではどのような思いが渦巻いていたのでしょうか。それは、その本人しか知る由もありませんが、彼はそこに書き込まれるべき新しいシーンの前に立って、そこに来るべき著者を待っていたに違いない。そして「あなた以外にこれを書ける人はいないんですよ」と励ましながら、ずっとそこで根気良く待っていたのでしょう。

そんな編集者たちの言葉があるからこそ、作家たちは迷いながらも作品を書き続けることができるのでしょう。

今日もごらんいただきありがとうございます。

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