2017年3月 6日 (月)

「地学のススメ」鎌田浩毅著 講談社ブルーバックス

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京都大学の鎌田教授の最新刊。ブルーバックスの2002番目の刊行。そんなに出てたんですね。

東日本大震災以降、日本列島は大地変動の時代に入ってしまい、いつ地震や噴火が起こっても不思議ではない状況になってしまっているそうです。もともと太平洋プレートが沈み込む場所にある日本に住む我々日本人は、地震や火山の噴火と無縁で暮らせるはずもないのですが、日本人の地学リテラシーは高くないというのが現状なのではないでしょうか。

その大きな要因として考えられるのが高校での地学履修率の低さにあると著者は指摘しています。大学受験の理科の選択肢の中に地学が入っている大学が少ないこと。そのためおのずと高校で地学を学ぶ生徒が少なくなってしまう。そこで地学の面白くためになるところを抜き出して、少しでも興味を持ってもらおうと書かれたのが本書であるそうです。この本では46億年の地球の歴史に思いをはせる一方、身近な話題では昨年起こった熊本地震のメカニズムなどが縦横無尽に語りつくされています。

鎌田教授はフランシス・ベーコンの「知識は力なり」という言葉をよく引用されています。1000年に一度の大地変動の時代にこそ、私たちが暮らす地球についての知識は必要です。内田樹さんが何かの媒体で書いておられたことですが、武道で負けない秘訣は「後手にまわらない」ということだそうです。相手が先んじて攻撃を仕掛けてくるとまず勝てないらしい。そのためには常に先手にまわることを考えることが大事だということでした。これは、地球科学に転換してみると、地学の知識を身に着け、とりあえずは想定できる災害に備えるということになろうかと思います。けれども「3・11」以降何度も話題に上った「想定外」にも私たちは出会うことでしょう。

1000年に一度のことはなかなか想定できません。大都市の地下の活断層は調査できないので、その場所で起こる地震は想定できません。地震は複雑な物質で構成される岩石が割れることで発生するため、いつどこで起こるのかは想定できません。そもそも複雑系そのものである地球で起こることは、そのほとんどが想定外なのではないかと感じます。そういう意味では後手にまわらないことは不可能かもしれません。

けれども、鎌田教授が繰り返す「過去は未来を解く鍵」という言葉をよく理解し、過去に起こった地震などの災害の歴史をひもとくことで、やがて起こるであろう災害に備えることができるのではないかと思います。そういう意味ではひとりひとりの「地学リテラシー」をあげていくことこそ、私たちがこの日本という国で安全に暮らすための覚悟の表明でもあるのではないかと感じました。カバー帯にあった「天は人を選ばず、場所を選ばず、大地を揺らす」はタイトルの「地学のススメ」が福沢諭吉の「学問のススメ」へのオマージュだった(?)ことからの発想でしょうか。まさしくその通りだと思いました。大変興味深い1冊でした。

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2016年5月 6日 (金)

一生モノの受験活用術 鎌田浩毅著 祥伝社新書

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多くの人は、受験勉強はひとつの通過儀礼のように、大学に受かるためだけにあるもので、その後の人生になにか影響を及ぼしているとは思ってもいなかったのではないでしょうか。ところが鎌田教授は、受験勉強で身につけた知識やノウハウは社会人になってからも役に立つのだと言っています。この本では京都大学で日々大学生に接し、ビジネスパーソン向けに多くのライフハック本を執筆してきた著者が、自分自身の能力を高める方策として、受験の経験を活用することを提案しています。

それでは具体的にはどうやって活用していくのでしょうか。まずは勉強で得られるものを「コンテンツ学力」と「ノウハウ学力」に分けて考えることからはじめます。この場合のコンテンツ学力というのは英単語や古文単語、さらには歴史用語など、試験勉強のために覚えなければならなかった多くの事柄を指します。そしてノウハウ学力は、入試や定期試験までに必要なコンテンツを覚え合格点を取るための方法論を言います。そして、その方法論は仕事をやさまざまなプロジェクトを進める際に応用できるのだといいます。

短期的には期末試験で点数を取るためになどのノウハウ、そして長期的には高校3年間を利用してどんな大学に入るのかを検討し、そしてそのためにどのような計画を立て、どのような知識を蓄積していくかということ。これは見方を変えれば非常にビジネスに近いといえるのではないでしょうか。その方法論を関西の研伸館という予備校の講師たちの協力のもと、いくつかの科目について開陳しています。

たとえば、日本史について。私たちは日頃身のまわりに起こっていることをなるべく単純化してしまうのだそうです。けれども世の中のできごとの原因は必ずしもひとつではなく、少なくともふたつもしくはそれ以上あり、それぞれが重なり合って結果をつくっていくことが多いのだということです。そういう点で日本史という科目は、複眼思考を養いながら、複雑にからみあった原因を探っていく方法を教えてくれるのだといいます。こんな風に日本史について考えたことが無かったので、これには目からうろこが落ちるような思いがしました。他にも世界史、政治・経済、地理、数学、物理、化学、国語、英語について説明されています。

最後まで読んでから「あれ、倫理が無い」と気づきました。最近ではセンター試験で得点しやすいためか倫理・政経で受験する人も多く、昔と違って受験科目として勉強されることが多くなっています。でも、それだけ倫理を勉強している人が増えている割りには、身近な若者たちに「倫理的」な人が少ないように感じるのは自分だけでしょうか。新聞やテレビの報道を見ていても、倫理的なことがらを問われるような事件が後を絶ちません。そういう点では受験倫理も活用してもらいたいものだと思います。ぜひ続編として「一生モノの高校倫理」など読んでみたいと思います。ビジネスマンややり直し世代だけでなく、現役高校生にもぜひ読んでもらいたい好著だと思いました。

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2016年2月 4日 (木)

圏外編集者 都築響一著 朝日出版社刊

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「POPEYE」「BRUTUS」を創刊から読んでいた身からすると、その雑誌の黎明期から関わっていた都築さんには興味がわかないはずはない。自分自身のライフスタイルや考え方の多くの部分を作ってきたともいえるふたつの雑誌が、どんなコンセプトで作られてきたかの一端を知ることが出来ただけでも大きな収穫だった。

 

そもそも編集会議が存在しない。「これ、おもしろそうなので、やらせてください。」とかいって、ページをもらって取材を始めちゃう。なので、ウケなかったら自分の責任だけれど、こんなに自由なことって無いと思う。モノ作りに限らず「仕事」と名のつくことをするということは、自由な発想を捨てることだと思ってきたが、考え直さなければいけないなと思わされた。自分が面白いと思うことを子供のように前のめりで追いかけることが出来るというのは、もしかしたら仕事(他のことでもよいが)を「じぶんごと」に内面化させる最も大事な要件かも知れない。雑誌というメディアを作ってきた都築さんだけれども、この本のなかに通奏低音のように流れているのは「私とは誰か」という問いをメディアを作ることで具現化していることだと思う。

 

私たちは毎日の暮らしの中で様々な選択を繰り返し、その結果自分自身を表現しているのだと思う。けれども、自分がものごとに対して成否をあらわさないものについても私たちは責任を問われることは必要だ。例えば原発にノーと言わなかったことは、ある意味肯定してきたのだともいえるのではないだろうか。

 

自分が面白いと思うことを追求していくのは、今の時代ではかなり労力が必要とされるだろう。都築さんは多くの雑誌が休刊したりと表現の場が少なくなった今、メルマガなどの「自分メディア」に表現の可能性を見出している。毎月課金を支払ってくれている読者の代わりに現場に赴き取材する。今これが面白いという、まさに「現代」を切り取ることを続けていく著者の姿をみることで、私たちはメディアのこれからについて、考えるきっかけを得ることができるのだろう。多くの出版人が、「もう出版社はダメですよ。」というのを限りなく聞いてきたが、まだまだ頭をひねる余地はあると、この本は私たちに教えてくれている。

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2015年12月25日 (金)

一生モノの超・自己啓発 鎌田浩毅著 朝日新聞出版

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先ごろTBSの「情熱大陸」に出演するなど、話題の京都大学の鎌田教授の最新刊です。これまで多くの自己啓発本を出版してきた著者ですが、この本ではこれまでの自己啓発本出版の反省から、それを超える概念を提唱しています。

これまでの著者のビジネス書執筆の根底にある発想は、科学者の用いる「予測と制御」だったといいます。つまり仕事や人生は、すすめかた次第ではコントロールすることができ、幸福な人生は自分でつくることができるというものでした。多くのビジネス書はたぶんこのような考えがベースにあり、幸福な人生を送れていない人は自分自身で努力を怠っているのだということなのかもしれません。

けれども、東日本大震災や御嶽山の噴火があり、多くの地球科学者の予想を裏切るような出来事が立て続けに起こったことで、著者の考えに変化が出てきたのだといいます。それは「予測と制御」をもとにしたこれまでの主張に疑問が出てきたからです。地震はともあれ、火山の噴火については地球科学の研究の成果によって予知ができると思われていたそうですが、御嶽山の噴火は突発的で、多くの死者を出してしまったことはショックな出来事だったそうです。

著者によると、1000年に1度の巨大地震のあとに突入した「大地殻変動の時代」においては、これまでの小手先のノウハウでは到底間に合わなかったため、これまでの自己啓発書を超える手法が必要なのだったそうです。

本書では多くのノウハウが開陳されているのですが、なかでも不確定要素が多く、なかなか結論がでない場合に用いる「流れで行く」ということに共感しました。これはスキーやスノボで使う「抜重」という技術から流用されています。スキーをやらない人にはわかりにくいと思いますが、うまく滑ろうと思うと、自分自身であまり方向を決めて曲げようと思わず、斜面の角度や状況に乗るようにある意味「他力」で滑るほうがいい場合が多いのです。身体の重心をいったんフリーにして、次の状況を待つという感じでしょうか。著者は人生のいろんな場面やビジネスの現場でも、このような「流れで行く」という手法は応用できるのではないかといいます。その手法は、ただ流されるだけではなく、流されながらも次の方向をきちんと見るということにつながるのではないかと思います。

私たちは自分の人生は自由に生きることができると思っていますが、思ったような筋書きを自分で描くことができる人はまれなのではないでしょうか。そんな自分の思いと社会の狭間をつなぐノウハウとして「自己啓発」という考えが生まれたのかもしれません。なんと子供のころからというビジネス書フリークだった著者が著したこの本は表向き「自己啓発書」の体裁をとっていますが、どうもその中身は100パーセント自己啓発を薦めているわけではなさそうです。ある程度その方法論は使ってもよいが、最後のところは自分自身で経験を積み重ね、自分自身で判断していくことが必要なのではないかと思います。想定外のことが際限なく起きるこの世の中で、依って立つものが見つかりにくいのは皆一緒です。そんな世の中だからこそ、自分を信じて生きていくことが大切だと書かれているように感じました。とても良い本でした。

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2015年11月20日 (金)

紋切型社会 武田砂鉄著 朝日出版社

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第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞ということで、どんなもんかなと思い読んでみました。

紋切型というと決まり切った言葉の使い方によって、人間関係や社会の動きにマイナスの状況をもたらすというのが最近の用法だと思うけれど、この本では「紋切型社会」というものをはじめから想定して、その社会に通奏低音のように流れる様々な紋切型フレーズを味わってみようという趣向なのかなと感じた。

「紋切型」。自分自身もこういったステレオタイプな物言いはよくしてしまっているのではないかと思う。けれども自分で使う言葉というのは、そのほとんどがストックフレーズであって、話しながらまったく新しい概念が生成されていくというのはないのではないだろうか。そういう意味では社会というのははじめから「紋切型」であって、私たちはその呪縛から逃れることはできないのだろう。

この本の著者はあえて「紋切型」にこだわることで、社会と私たちの関係性を浮き彫りにしようとしている。 例えば乙武洋匡さんのことを無意識に「乙武君」というふうに言ってしまっているけれども、最初に何かで刷り込まれた言葉を私たちはなかなか刷りなおすことができないものだ。テレビのMCなどは意識的に「さん」付けで呼んでいるけれども、逆にひっかかりがあったりする。「どうしてひっかかるのか」というところが、その事象と自分との接点なのではないか。著者はそのひっかかりをひもとく鍵として、対照的に薬害エイズ事件の川田龍平さんのことをとりあげる。川田さんは乙武君と違ってはじめから「川田さん」だった。これ以上書くとネタバレになるのでこの辺にしておくけれども、こんな話は枚挙にいとまがない。

私たちはちょっとしたひっかかりをそのままにすることもできるが、そうせずに「どうしてなのか?」と立ち止まることもできる。この本ではそんな立ち止まり方のひとつのかたちを見ることができる。自分自身ができることは、そんなかたちを見て、自分なりの答えを見つけることではないだろうか。それは、紋切型のフレーズが世の中のあちらこちらに散らばっているからこそできることだ。私たちには、世の中に遍在する紋切型の言葉たちに文句垂れるだけではなく、使われた言葉で硬直させられた社会に違う側面から言葉を投げかけ、解きほぐしていくことが望まれているのではないだろうか。そしてそれはサルトルのいうアンガジュマンの実践でもあるのではないかと感じた。

散らばった紋切型の言葉たちを味わいつくし、そしてそれぞれを受け入れることで起こった感情を内在化していく。そうすることではじめて私たちは紋切型の言葉で記述されたこの社会のことを、真に愛することができるのだろう。

お薦めいただいた(橋)さん、ありがとうございました。

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2015年6月26日 (金)

断片的なものの社会学 

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「断片的なものの社会学」岸政彦著(朝日出版社)

ずいぶん久しぶりの更新。ちょっと書いておきたいと思わされました。

社会学とタイトルにあるけれども、かつて読んだ社会学の本とはずいぶん趣が異なる。というのは今まで読んだものはそのほとんどが、調査した事実を先行研究に照らし合わせて意味づけをするというもので、自分の言葉でその事実について思うところを語ったりということはされていなかったからだ。それらの本では、対話のなかから相手の言葉を拾い上げていく過程で多くの社会学者は、その語りについて「あなたの話はとうの昔に我々の言葉で語られている」とラベリングしていくのではないかと感じられた。けれどもこの「断片的なものの社会学」という本は、それらとは違ったということなのだ。

書店に勤めていると、出版社から販売データを見せられ、「こういった動きをしているので御社でも展開してください。」とか、「この本は初速が良いので注目しているんです。」という話をよく聞く。POSデータというのは今では一般の方でもその存在を知っているくらいあたりまえのもので、人間の消費動向を知る上では欠かせないものだ。でも売場で本を売っていると、ひとりひとりの事情があり、いろんな動機から本を手にするのを目にしているので、個人的には単純にPOSデータを人と結びつけて考えることは難しい。データにされた数字には人格がないし、その数字は実はひとりひとりが本やさまざまなものを「欲しい」と思った証しなのだからだ。

この本を読んでみて感じたのは、他者のそれぞれの事情をあえて自分の言葉で語りなおすことは、無作法なのであろうということだった。学問という枠の中で考えると、いろんな事実についてラベルをつけていくことは当たり前のことで、それ以外の手法は学校の外でやってくれということかもしれないが、本当の意味での社会というのはそんなに簡単にラベルをつけたり意味をつけたり出来ないものなのではないかと思う。

この本の著者は学者でありながらあえて、社会学の手法で語ることをせず、聞いたことをそのまま私たちに提示してくれている。それはタクシー運転手であった路上のギター弾きであったり、元暴力団員のわけのわからない話であったりである。そしてそれを読んだ我々はその話に共感できたりできなかったりするのである。

私たちは自分自身が対象者に共感できるかどうかを決めるときに、何を基準にしているのだろう。アダム・スミスは公平な観察者が自分のなかにいることが、道徳性の根本であるといっていたように思うが、著者の立ち位置はどうもそれとは違うのではないだろうか。道徳的に生きることがすべての人に真実である必要も無く、世間から不道徳であるとしか見られない生き方にも真実はあるのだろう。公平な観察者として社会を記述することはたやすいが、対象者によりそいすぎることで公平性を失い、おろおろしたり、悲しんだり、喜んだりでしか見えないことはかならずあると思う。著者はそんなふうに、さまざまに一喜一憂し、ある意味不公平に社会と関わりあっていくということを実践していくことで、私たちに世の中の面白さを、「別のかたち」で見せようとしているのではないかと思わされた。

私は書店の店頭でいろんなひとたちのいろんな言葉を目の前で、または電話を通じて耳にしているが、なるべくその言葉を「消化せずに持ち続ける」ことが大切なのだと思い続けてきたが、そのことはじつは本当に大変で、そんなに長く続けられるものではないなと思ってきた。けれどもこの著者のような方が世の中にいるのなら、もう少しくらいはやってもいいかと思わされた。そういう意味では、この本に勇気づけられたひとは他にもいるかもしれない。

この本のことをおしえてくださった(橋)さんに感謝いたします。大変興味深い1冊でした。せっかくなのでこの著者のほかの本も読んでみようと思います。

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2014年2月 7日 (金)

滝と人間の歴史 原書房

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シリーズ「人と自然と地球」の3冊目にあたる本作は、滝が人類の文化的な側面に及ぼしてきた影響を、様々な視点から考察しています。著者は地理学者であり都市・地域開発のプランナーであるブライアン・ハドソンという、オーストラリアのクイーンズランド工科大学の非常勤教授とプロフィールにあります。このシリーズの面白いところは、対象となる自然現象の本格的な専門家ではない方々が執筆しているところにあると思います。あえて違うジャンルから視ることで、複眼的に考察できるのではないでしょうか。

 

監修の京都大学の鎌田浩毅教授によると、滝そのものは地学的にみるとその成因はさほど興味深いものでもないらしい。しかし、水による侵食と風化によって起きる地形の変動は、滝の持つ美しい美観の裏側に無常観を醸し出しているのではないかと感じます。長い長い地球の歴史のある短い時間に現れた数々滝は、それを見た私たち人間の心に大きな影響を与え続けてきました。そしてこれからもその姿を少しづつ変えながら、それは続いていくのでしょう。

 

多くの文学作品によると、滝はその作品の書かれた国々によって扱い方が異なっています。太平洋の島々を舞台にしたフランスの小説家の作品では、その島々の美しい滝の光景と作品の中の官能的な生活が結びつき、あたかも滝が作品中の性的なメタファーとして扱われているかのように感じます。確かに自然の描き出す光景は私たちに暗喩を与える場面は多々あります。

 

この本でも紹介されている和歌山県の那智の滝などは、超自然的なものと結びついた神聖な場所として崇められてきました。そういった場所に赴くと、自然に敬虔な気持ちが立ち上がってくるのはなぜでしょうか。

 

それはもしかしたら、永遠に続くかと思える、断崖の上から滝つぼへと落ちる水の動きを、無意識のうちに自己の再生に結び付けて考えているからなのかも知れません。旅先で出会った滝から受けた印象が後々まで残るのは、そんな非日常的な体験が私たちに特別な感情を与えているからではないかと感じます。自然について考えることで「人間とは何か」について考えるきっかけになりそうな1冊だと思います。

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2014年1月 1日 (水)

ファッションは魔法 朝日出版社

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山縣良和さんと坂部三樹郎さんという売れっ子のファッションデザイナーのファッション論です。残念ながらおふたりがどんな服をつくっているのか、全然知らなかったのですが、両方とも海外の美術大学などを主席で卒業されていて有名な方たちなのですね。デザイナーになっていく経緯はふたりとも違っていますが、目の前に提示されたレールに乗っかっていないという部分は読んでいてとても興味深い。

特に坂部さんのほうは大学の工学部でプログラミングを学んでいたにもかかわらず、ファッションの道にすすんでしまう。学生時代に自分の着るものに興味があり、着ている服で自分の気持ちに変化があったり、周りからのイメージも変わってしまうという経験が面白く、ロンドンのセントマーチンズという学校に留学。身近な人とのつながりの中でクリエイションを考えた方が良いと考え、ファッションの道に進みます。

ふたりが仕事を始めたときにはすでにファッションの世界ではほとんどのことがやりつくされていて、新しいことをやるには、整備されつくした場所を離れ、新しい土地を探しそこを開拓することからはじめなければならなかったといいます。そんな価値観を根本から見直すという、自ら渦の中に飛び込んでいくような状況の中ではじめて見えてくる景色があるといいます。それは、もやの中にかすかに見える光なのだそうです。ファッションをつくっていくということは、もやのなかに真実を見出す行為でもありますが、その反面もやを見失わないという行為でもあるようです。

多くの仕事ではなるべくいろんなことを整理してもやを吹き飛ばし、目の前をクリアーにしていくことが求められているように感じます。けれども、単純に人が着るだけのものをつくるというだけでなく、着た人の気持ちを変えていけるようなもの、さらにはまわりで見ている人々の気持ちを変えていけるようなものをつくるには、どうも「もや」のようなものが必要なのではないかと感じます。表紙のサブタイトルに「人を超えて、新しい人間をつくる。」とありましたが、いろんなジャンルの仕事に有効なヒントがたくさん詰め込まれているような気がしました。お勧めいただいた(橋)さん、ありがとうございました。

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2013年12月16日 (月)

図説 地震と人間の歴史 アンドルー・ロビンソン著 原書房

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「シリーズ 人と自然と地球」(全5巻)の第1巻。他に「火山」「滝」「火」「砂漠」が予定されているそうです。今回の著者はオックスフォードとロンドン大学で学位をとったサイエンスライターだそうで、いわゆる自然科学のプロフェッショナルですが、本書は地球科学の側からだけでなく歴史や文化史の視点から地震の全体像に迫ろうという意欲的な作品だと思います。

著者の住むイギリスでは、マグニチュード4クラスの地震は2~3年に1度程度しか起こらないといいます。けれども、その珍しさゆえ古来から歴史のページに印象深く記録されてきました。例えばシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のセリフに登場したりと、人々の心にはその姿が刻まれています。そんな国に住む著者の目からみると、日本をはじめとする環太平洋の地震の多さと、その規模の大きさはどんな風に映ったのでしょうか。

この本では特に地震の多い日本についてもページを割いて解説されています。1855年の安政地震では多くの人々が犠牲となりましたが、1853年と54年ににペリーが来航した後に起こった安政地震と黒船の来航を関連づけてなのか、黒船をナマズになぞらえた「鯰絵」が大流行しました。ナマズがペリーと綱引きをしているものや、ナマズをクジラに、更には黒船に見立てて沖で潮ならぬ小判を噴気孔から噴出している絵など、ユーモラスな絵が紹介されています。これは、安政地震が起こったことで、幕末の不安定な社会に庶民が持った不満感が鯰絵に象徴的に表れたのではないかといわれています。その後、江戸幕府が崩壊し明治新政府が誕生しますが、その新しい時代を待望する雰囲気を作ったのは、安政地震が起こったことがきっかけだったのではなかったかも知れません。そして、そんな時代の雰囲気を版画を作った絵師たちは敏感に感じ取っていたのかもしれません。

この本の監修者の京都大学の鎌田浩毅教授はフランシス・ベーコンの「知識は力なり」という言葉をひいて、これからの日本人が生きていくうえで「地震に対する正しいリテラシー」の重要性を訴えておられます。地球科学の正しい知見を知るとともに、日本だけでなく世界の様々な国々で起こった自然災害の歴史について知識を得ることが、これからますます必要になっていくに違いありません。自分自身の思考の補助線を引くための一助になりそうな好著だと思いました。

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2013年10月25日 (金)

義足ランナー 佐藤次郎著 東京書籍

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全国には義足使用者が6万人といわれています。この本は義肢装具士の臼井二美男さん@鉄道弘済会東京障害者福祉センターが、義肢装具の仕事のかたわら取り組んだ「義足で走ること」の記録です。

もともと義足になった人は「とりあえず歩けるようになれば」という思いから義足をつけるそうです。歩けるようになるまででも大変なのに、義足で走るなんて思いもよらないこと。そこには義足に身体を預けることの恐怖が常にあるからだといいます。けれどもとりあえず5メートルだけでもと走り始めた人たちは皆、スポーツすることに楽しみを見出していきます。

脚を失ってしまった人たちは脚と一緒に、それまで持っていた日常生活や夢などを同時に失ってしまいます。そんな風に心の中にあいた隙間を走ることが埋めてくれるようになる。身体に障害ができたことで生じた心の隙間が、身体が動くようになると上手く補完するようになっていく。私たちは日頃不自由なく過ごしているので、こんな仕組みに気付かないで暮らしていますが、案外悩みがあるときなど身体の方から手助けしてあげると良いのかも知れません。

臼井さんは自分のもとにやってきた義肢調整の方々に声をかけ、多くの競技者をフォローしてきました。全くの手弁当でやってきた毎月の練習会も現在では「ヘルスエンジェルズ」という名前になり、数十人の参加者を集め、多くのスタッフが関わり、障害者スポーツの振興の一翼を担うようになっているそうです。

「脚をなくすまではスポーツをするなんて思いもしなかった」という人たちがスポーツを、しかも競技まで始めてしまうというのは驚きです。人間の心というのは、面白いものだとつくづく感じさせられます。

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